生まれ変わり

夏休みも終わり2学期が始まった始業式の日、担任の先生が転校生を連れて入ってきた。
「○○K子さんだ、仲良くしてあげるように」
その女の子を見たNさんは一瞬ハッとした。(どこかで会ったような気がする)
1時間目が終わりNさんはKさんに話しかけてみた。「ねえ、私たち前にどこかで会ったことない?」と聞くとK子さんも「私もそんな気がしてたの」
それから二人はすぐに仲良くなった。
ある日の昼休み、屋上から校庭を見ているとどこからか白い紙が飛んできた。K子さんがその紙をとろうと屋上の手すりに身を乗り出したところ「危ない!」とNさんはとっさにK子さんの手首をつかんだ。K子さんもNさんの手首をつかみそのまま二人で倒れこんでしまった。
助けてもらったK子さんはNさんにお礼を言ったところ、NさんはK子さんの手首に痣があるのを見つけた。
「あれ?K子、その痣…」というと「これ生まれた時からついてるの」
実はNさんも生まれつき右手首に痣があった。
その帰り道、二人で駄菓子屋さんへ入ると奥から90歳くらいのおばあさんが出てきてNさん達を見るなり
「さっちゃんとたえちゃん?」
と言い、眼を丸くしてNさん達を見つめていた。
話を聞いてみるとおばあさんの同級生にさっちゃんとたえちゃんという人がいて二人は中学校の時に、誤って学校の屋上から転落死したそうであった。その時二人は倒れたままお互いの手首を固く握り合っていたそうだった。

生まれつきにどこか黒子があったり、この話のような痣や傷に見えるようなものが身体にある時は、前世で何か起こった時についたものだろうという話はよく聞く。

鐘の音

浅野正恭という者が静岡にいた時、久能山の下を通り宿まで行っていると途中に持仏堂があり、そこからカンカンと鐘の音が聞こえてきた。ふと覗いていると20歳くらいの青い顔して頸へ白い布きれを巻いた青年がいて、その人が鳴らしていた。浅野は何やら気味が悪いと思い急いで宿へ行き宿の亭主へ聞いてみた。
それにはこんな因縁話があった。
持仏堂の青年は村の者で大病に罹り医師も難儀していたが、そこの下女が寝食を忘れて看護した為病気が癒った。
青年の母親は下女が親身に倅の世話をしてくれたので青年の病気が治りかけた頃「倅の病気が全快したらお前を嫁にする」と言った。下女は大変喜び青年が全快するのを楽しみにしていた。
しかし、全快すると青年は他から嫁をもらった。下女は悔しくてたまらず、いよいよ明日が結婚式という前夜に井戸に身を投げて死んだが、それを隠して青年は婚礼を行った。三々九度の盃をしていると1mぐらいの蛇がどこからかやってきて青年の首に巻き付いた。大騒ぎとなり蛇を捕って捨てたが、捨てても捨ててもやってくるので、その結婚は破談となった。
青年は下女の怨恨を解くために蛇の上に白い布きれを巻いて、持仏堂へ入って行ったという。

乃木将軍の愛馬

日露戦争の頃、乃木希典将軍と露将ステッセルが会見して、旅順の開城のことを議した時のことである。
ステッセルが水師営のナツメの木の下で乃木将軍に贈った愛馬は、とても立派な白馬であった。その馬は乃木将軍が亡くなると、島根県の某代議士のところへ引き取られていった。
そして昭和5年にとうとうその馬は死んでしまった。その後、昭和7年に引き取った代議士も亡くなったが代議士の葬送の写真を撮って現像したところ、葬列の中に交ってあの白馬が写っていたという。

ヴラド・ツェペシュ

日に当たる事を拒み、夜になると棺桶から起きだして美女の血を吸って何百年も生きるという吸血鬼。
有名なのでご存じだろうが、この吸血鬼のモデルがヴラド・ツェペシュ公である。モデルなだけで人間であり、そして人の血を実際に吸うなどということはない。しかしとても残忍な人であった。
ヴラドは自分に反抗する者は決して許さなかった。どんなに身分が高い者であろうとも全員殺し、串刺しにして国境にずらりと並べたそうである。これは敵国への警告で「俺に逆らうとこうなるぞ」という脅しだったのだろう。

ある日、外国の大使が挨拶に来た時、頭のターバンを取らなかったのでヴラドは激怒し、「取らないのならこれからも外れないようにしてやる!」と、ターバンの上から頭に釘を打ち付けたそうである。
なんだか血を吸うだけの吸血鬼の方が優しいような気がするのは筆者だけであろうか?

血の窓

明治14か15年頃の事である。河内の生駒山の麓にある住道村に沖村辰造という農民がいた。歳は26,7で最近結婚したばかりで夫婦仲も良く、お互い助け合って働き貧しい中でも幸せに暮らしていた。
夏が過ぎ、9月頃から辰造は眼が悪くなりはじめた。治療や観音様へのお参りなど妻のお留はしてみたが、日に日に悪くなる一方だった。お留は何とかして辰造の眼を治したくて苦しい家計の中から医者を迎え薬を買っていた。
そのうち、お留の稼ぎだけではどうにもならなくなった。お留は奉公にでも出ようと辰造に相談した。苦労をかけてしまうからと辰造は容易に納得しなかったけど養生するには金が必要である。
近所の人もお留の言い分をわかり一緒に説得して、やっと辰造は納得した。 続きを読む