狐の恩愛

  • LINEで送る

享和3(1803)年の春、鼠がおびただしく繁殖し、商売の品を食い荒らすことがあった。そこの主人は嫌がり、石見銀山砒藥(殺鼠剤)を用意して餌に混ぜておいた。すると4~5匹の鼠がそのあたりで死んでいた。ごみ捨て場へ遺棄した。

翌日の朝、狐の子がその鼠を食べたのであろう、ごみ捨て場あたりに死んでいた。
ある日、その者の妻が外出した時大事にしていた子供がどこへ行ったのか姿が見えなくなった。妻は悲しんでいたが夫はたいそう怒り「きっと狐の仕業であろう。狐を捕えようとして薬に当たった鼠を捨てたのではない。子狐が勝手に鼠を貪って死んだのに、わしを仇と思い最愛の子供を取るとは無道だ」と近くの稲荷神社に行って道理を説いて怒った。
翌朝、その者の庭先に死んだ子狐の死骸と我が子の亡骸がともに捨てて置かれていた。
そして井戸の中で雌雄の狐が入水していたという。

  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*