古典文学

絵姿女房

出雲国(島根県)に調介という大百姓がいた。ある日友人の家を訪れた調介がその家の床の間にある掛け軸に目が止まった。
調介の視線を読んだ友人は顔をほころばせて「ああ、その掛け軸かい。実は最近都へ上った時にある人から譲り受けたんだ。なかなかいいだろう」と誇らしげに話した。
近寄ってその掛け軸を見ると、なんとも美しい女の絵が描かれている。調介は友人の事など忘れたかのように、うっとりと掛け軸の女に魅入ったまま呟いた。「まるで生きているようだ」
白い肌、ふっくりとした頬から肩にかけての線の優美さ、そして笑み。見れば見るほど心を奪われ魅せられてしまった。
「もし、生きている女であったら…俺は家も田畑も財宝も全て投げ打ってもいい」
そう言う調介はもう尋常ではなかった。
その時、友人が「生きている女にする方法がある」
「え…?」と振り向いた調介に友人が「誰の目にも触れない密室で絵に《真々》と呼びかける。これを100日間昼夜怠りなく続けるのさ。100日経つと絵はお前の言葉に反応する。その時に8年の古酒を絵の顔に注ぐ。そうすれば女が掛け軸から出てくるって話さ、まさかかどうか、お前さんやってみるかい?」

それからというもの調介は熱心に100日続けた。その時「私をお呼びになるのは…あなた様ですか?」と絵が話した。そこで用意していた8年の古酒を絵に注いだ。
すると絵はむくむくと起き上がり、生きた女となって調介の前に現れた。感極まり涙を浮かべる調介は深々と頭を下げ女を迎えた。
数年の時が経ち、調介は女を妻としてついてには一子をもうけた。
友人には数々の財宝をお礼として送り恩義を尽くした。本当に恐ろしいほどの幸せの毎日であった。

ある日、疎遠にしていた従弟の進兵衛という男が調介を訪れた。積る話に花が咲き、つと出てきた妻と子の姿に進兵衛は「いつどこからもらったんですか?水臭いなあ教えないなんて」と言い、調介は最初の方は照れて黙っていたがあまりしつこく訊くので、ついに事の顛末を小声で話してしまった。
進兵衛は「それは妖術だ。騙されちゃいけません。その女を生かしておくと災いが起こる。俺が今持っている希代の名刀をお貸ししますからあの女を殺すんです」
調介は仰天して進兵衛の顔を見たが無下にもできず刀を受け取った。そして幾日かが経った。

突然妻が「私は南方に住まいする仙人である。たまたまお前に招かれ年月を契ってまいったが進兵衛の言葉にお前は私を疑った。このうえはもうここへは留まるわけにはいかない」と口調も変わり表情も変わりカッと口を大きく開けたかと思うと、かつて調介が降り注いだ酒を全て吐き出し子供を抱いたまま空中に消えた。
追っても後悔してもすでに妻子は戻ってはこない。せめての慰みにと調介は蔵にしまいこんでいた掛け軸を取り出した。
懐かしい絵姿を忍ぼうと掛け軸を広げるとそこにはあの妻の姿があるではないか。しかもその小脇には子供をしっかとかき抱いている。
いくら調介が目を凝らして右に左に傾けてもそれはもう物言わぬ絵であった。

湯治場の美女

摂津国(兵庫県)に伝左衛門という男がいた。この男は腰痛持ちでそれが悪化したため有馬へ湯治へ出た。

湯煙越しに見える景色に満足し、伝左衛門は大きく息をついた。時間が早いせいか誰もいなかった。ゆったりと四肢を伸ばし身体中手ぬぐいで拭き清めていた。
そんな時である。「もし…」と、か細い声が聞こえた。男ばかりの露天風呂に女の声などするわけがない、きっと聞き違いだろうと手拭を絞って頭に乗せた。
するとまた「もし…」と声がする。恐る恐る振り返ると「わたくしも、湯に入れて下さりませ」と一糸まとわぬ妙齢の女が恥ずかしげに伏し目がちにこちらを見ている。
伝左衛門は鼻息も荒く「これはこれは、早く湯へ、風邪を引いてしまうさ」と女を湯へ招き入れた。
話す事もなく伝左衛門はちらちらと女を盗み見た。歳は25か26くらい。目鼻立ちも涼しげで、肌に弾いた湯が玉のようにのっている。
その時女が「もしよろしければ、お背中の垢をかいてさしあげましょう」と話しかけてきた。勿論断る理由など無い。「これはかたじけない。では遠慮なく」と背中を向けた。
「では」と女のひんやりとした手が伝左衛門の背中に触れる。瞬間、伝左衛門は身震いした。
そして上に下に、右に左にと心地よい強さで伝左衛門の背中を掻きはじめた。あまりにも気持ちがいいので伝左衛門はついとろとろと居眠りをしてしまった。
どれくらい経ったのだろう。伝左衛門が目覚めた時にはすでに日は暮れていた。女はどうしたのだろうと伝左衛門が振り返ろうとした時、妙な感覚が背中に走った。
あれ?と背中に手を回すとゴツゴツと固いものがあたる。触りなれた自分の背中ではない。なおも確かめつつ触っていくうち、「あっ!」と気付いた伝左衛門。立ち上がり大きく身体をひねり、月明かりの中水面に映る自分の背中を見た。
その背中には肉が全くなかった!!
まるで猫が貪り食った魚の骨のように背骨が丸出しになり、ところどころに赤い肉がこびりついていた。
あれから何時も経った今ではもう遅い。男湯に女が一人で入るはずもない。
妙な下心を持ったために肉を削られてしまった伝左衛門はいつまでもそこで呆けていた。

鐘の音

浅野正恭という者が静岡にいた時、久能山の下を通り宿まで行っていると途中に持仏堂があり、そこからカンカンと鐘の音が聞こえてきた。ふと覗いていると20歳くらいの青い顔して頸へ白い布きれを巻いた青年がいて、その人が鳴らしていた。浅野は何やら気味が悪いと思い急いで宿へ行き宿の亭主へ聞いてみた。
それにはこんな因縁話があった。
持仏堂の青年は村の者で大病に罹り医師も難儀していたが、そこの下女が寝食を忘れて看護した為病気が癒った。
青年の母親は下女が親身に倅の世話をしてくれたので青年の病気が治りかけた頃「倅の病気が全快したらお前を嫁にする」と言った。下女は大変喜び青年が全快するのを楽しみにしていた。
しかし、全快すると青年は他から嫁をもらった。下女は悔しくてたまらず、いよいよ明日が結婚式という前夜に井戸に身を投げて死んだが、それを隠して青年は婚礼を行った。三々九度の盃をしていると1mぐらいの蛇がどこからかやってきて青年の首に巻き付いた。大騒ぎとなり蛇を捕って捨てたが、捨てても捨ててもやってくるので、その結婚は破談となった。
青年は下女の怨恨を解くために蛇の上に白い布きれを巻いて、持仏堂へ入って行ったという。

乃木将軍の愛馬

日露戦争の頃、乃木希典将軍と露将ステッセルが会見して、旅順の開城のことを議した時のことである。
ステッセルが水師営のナツメの木の下で乃木将軍に贈った愛馬は、とても立派な白馬であった。その馬は乃木将軍が亡くなると、島根県の某代議士のところへ引き取られていった。
そして昭和5年にとうとうその馬は死んでしまった。その後、昭和7年に引き取った代議士も亡くなったが代議士の葬送の写真を撮って現像したところ、葬列の中に交ってあの白馬が写っていたという。

血の窓

明治14か15年頃の事である。河内の生駒山の麓にある住道村に沖村辰造という農民がいた。歳は26,7で最近結婚したばかりで夫婦仲も良く、お互い助け合って働き貧しい中でも幸せに暮らしていた。
夏が過ぎ、9月頃から辰造は眼が悪くなりはじめた。治療や観音様へのお参りなど妻のお留はしてみたが、日に日に悪くなる一方だった。お留は何とかして辰造の眼を治したくて苦しい家計の中から医者を迎え薬を買っていた。
そのうち、お留の稼ぎだけではどうにもならなくなった。お留は奉公にでも出ようと辰造に相談した。苦労をかけてしまうからと辰造は容易に納得しなかったけど養生するには金が必要である。
近所の人もお留の言い分をわかり一緒に説得して、やっと辰造は納得した。 続きを読む