古典文学

針食い虫

備前(岡山県)で住み込みの針子をしていた女がいた。裁縫で折れてしまった針は針箱の底に納め、針供養をすることになっていた。彼女もその習いに従って折れた針を大事に集めていた。
ある日、針箱を開けると中が空っぽになっていた。不思議に思い箱をいろいろ調べていると箱の隅に小さな虫がいた。見た事もない珍しい虫だった。それを取り針刺しの上に置くと虫は這いあがっていき針をバリバリと食べ始めた。「なるほど、この虫が針を食べてたから無くなったんだ」
妙な虫であっても小さくてそれなりに可愛い。彼女は小箱に入れてその虫を飼いはじめた。もちろん餌は折れた針である。2~3か月もすると最初の大きさよりも三倍ほどに成長した。そうなると針のような小さな餌では追いつかなくなり、一体何を食べさせたらいいだろうと彼女は悩んだ。
ある日、思い切って仕立て屋の主に相談するとこの人も物好きな人で、虫の飼育を面白がってくれ使い古した鉄瓶や錆びたノコギリなどをくれた。それらを食べたのはいいが、虫は巨大化に歯止めがきかなくなってしまった。
さすがに彼女はこの虫が怖くなってしまい、虫が眠っている間に外へ運び枯草とともに焼いてしまった。
だが後になって、化け虫の恐ろしさよりも自分が化け虫にしたことへの恐ろしさが罪悪感となってきた。それがきっかけとなって京へ上り出家したという。

 

[参考文献:日本の古典・怪談・珍談奇聞]

同行する幽霊

この話は当時の新聞に掲載された事件である。
昭和元年2月12日の夜、大垣市のある町の自転車店へ強盗が入って熟睡中の店主F氏が殺害された。警察は必死に犯人を探し、ついに別の町の精米屋の次男であるYを検挙した。
そのYを検挙した日が、偶然にも被害者の100箇日だった。
その後は岐阜地方裁判所で公判に附せられたが容疑者の弁護士であるKが容疑者Yと面会した時に不思議な話をした。

その話というのは、Yは犯行後1か月後に東海道線米原駅のある旅館で昼飯に入った。店員が2つ箸を持ってきて一つをYの前に置きもう一つを左側へ置いた。Yは変に思い「1人できているのだが」というと店員は怪訝な顔をして辺りを見回し「あら?もう一人の方はどちらへ行かれたのですか?」と聞く。
ちなみにどんな容姿の人だ?とYが聞くと「25、26歳ぐらいの人でこんな感じの顔でした」と説明を聞いているとそれは被害者のFにそっくりだった。Yは怖ろしくなってそのままそこを逃げ出した。

Yは殺害時、斧でFの頭部を粉砕して殺害した。その時の返り血が右腕に着いたのだがいくら洗ってもこすってもとれなかったのが、検挙されて犯行を自供すると同時に綺麗にとれてしまったという。

 

[参考文献:日本怪談実話]

泣く生首

京都のある学僧が師匠から関東へ行くように命ぜられた。その学僧には密かに愛し合っていた恋人がいた。しかし離れてしまうためその恋人に別れを告げた。しかしなかなか承知してくれなかった。
関東へ行く日、夜に一緒に都から出てきた。とうとう夜明けになった。
「夜が明ければ僧と若い娘の2人連れは目立つのでここで帰ってください」
すると娘は懐から匕首を抜出し、学僧の手に握らせて「この匕首で私の首を斬り、せめて首だけでも連れて行ってください」娘は初めから死ぬ覚悟でついてきた来たのである。
その純粋な気持ちに学僧は娘の願いどおり首を持って関東へ行った。

関東へ行くと仏教の学問所と知られたある寮の一室を与えられた。それから3年が過ぎ飛脚が学僧に母親の危篤を知らせる手紙を届けた。学僧は急いで都へ戻った。
その1か月ほどの事。学僧の寮の一室から女のすすり泣きの声が聞こえた。周りの僧たちが女の人が混じっているとあっては一大事だという事でその学僧の部屋へ押し入った。女の姿はなかったが確かにこの部屋から女のすすり泣きの声がする。どうやら学僧が持ってきた笈(現在のカバンみたいなもの)の中のようだ。
まさかと思いつつも中をあらためてみるとそこには女の生首が納まっていた。髪も艶々としており肌も艶やかな若い女の首が頬を涙で濡らしていた。僧たちが茫然と見ている中、その生首は灰色に朽ちて干からびてしまった。
後日、僧たちは都へ戻った学僧が急病で亡くなったことを知った。思えばその日は娘の生首が泣いた日と同じであった。

 

[参考文献:新御伽婢子]

しゃもじ幽霊

ある古道具屋の女性が雨の夜、寄り合いから帰ってこない主人の帰りを諦め戸締りをして眠りに就こうとしたところ、戸を叩く者がいる。開けると雨に濡れた美しい女性が立っていた。真っ白な着物に真赤な腰巻といういでたちで、その女性は「待っていてあげて下さい。ご主人が今戻られますから」というとどこかへ行ってしまった。
しばらくすると夫が雨に濡れて小走りで帰ってきた。
その翌日、古道具屋に一組の布団が持ち込まれた。それは婚礼布団であったが売りに来た男は安価で手放した。早速店先に出すと数日で買い手がついたがなぜか数日で戻ってきた。やがて夫の母親がその布団を持って帰ると言い出し、翌日不安になった夫婦は夫の母親の家へ様子を見に行った。
するとそこには布団から逃れるようにして壁に穴をあけて腕を突っ込んでる母の姿だった。
怪しいと思った夫は布団を引き裂いてみた。そこには綿とともに色褪せた布の包みが現れた。妻がそれを開くと中から干からびた10本の指とくしゃくしゃの肉片、それも抉り取られた女性器だった。
そして夫はふと思い出した。妻が見たという女性の下半身が赤かったのは腰巻の色ではなく血に染まっていたためではないかと。妻も思いだし叫び声をあげた。
その女性の手を見た時に何か違和感があったのは指が1本もなく、のっぺりとした手のひらだけでまるでしゃもじのような形にみえたことを。

 

[参考文献:日本現代怪異事典]

そば清

賭け事が流行っていた江戸時代の事。蕎麦屋でざるそばを15枚食べた男を見ていた客が言った。
「いい食べっぷりだな。次は20枚食べれるか賭けようぜ」
「お安い御用だ!」
翌日、男は20枚のざるそばをペロッと食べ、賭けを言い出した客は泣く泣く20枚分のざるそば代を払った。それを見ていた店主は「お前さん知らないのかい?あいつは『そば清』というあだ名で40枚ぐらいなら軽く食べれるよ」
負けた客は悔しくてもう一度勝負を挑んだ。「俺も江戸っ子だ。50枚に5両賭けよう。いくらそば清でもこれは無理だろう」
そば清は(うーん、45枚なら自信はあるが50枚は自信がないなあ」といっても5両は断るには惜しい金額。
適当な理由をつけてそば清は賭けの日を先延ばしにしてもらい商いの旅に出かけた。

山道で一休みしていると何かをひきずるような音がしてきた。ふと見ると一人の猟師が大蛇に飲み込まれていた。そば清は「ひえーー」と腰を抜かしていると大蛇は近くに生えていた赤い草をペロペロと舐めたかと思うとパンパンに膨れていたお腹がすーっとしぼんでいった。
「なるほど良いものを教わった。この草は消化を助ける薬なんだな」と大蛇が藪に消え去った後、その赤い草を摘んで江戸へ戻った。そして50枚の賭けに挑んだ。

店にはたくさんの野次馬が集まり20枚、30枚と次々と空のざるが積み上げられていく。48枚目になった時、そば清の箸が止まってしまった。喉まで蕎麦が詰まり身動きがとれない。
店主は「悪い事はいわんから、もうそれぐらいでやめておけ」と声をかけたがそば清は聞かない。「少し休めば大丈夫」と人払いをして障子を閉め、あの赤い草を舐めだした。ぺろり、ぺろりと。
外ではなかなかでてこないそば清を心配しだした。「中で寝てるんじゃないか?」野次馬たちは障子を開け息を飲んだ。そば清の姿はどこにもない。ただそこには薄暗い部屋にそばが袴を着て座っていた。
大蛇が舐めていた赤い草は人間を溶かす薬だったのだ。

 

[参考文献:本当に怖い怪談]