ロバに変えられた旅人

唐の時代、河南省の西に板橋店(はんきょうてん)という旅籠があった。主人は身寄りもない一人暮らしの女で名を三娘子(さんじょうし)と言った。少し歳はいっていたが愛嬌がありそこそこ繁盛していた。
宿では何故かロバをたくさん飼っていたがそれは、安い賃金で旅人に用立ててくれるという事もあり宿は評判であった。
そんなある日、趙季和(ちょうきわ)という旅人が洛陽に向かう途中、この旅籠に泊まった。すでに数人の客がいたので季和は部屋の一番奥の寝台へ通された。そこの部屋は三娘子の私室と壁一枚隔てただけの所だった。
その夜、三娘子は客にたっぷりと酒と食べ物を振る舞った。夜が更けると相客たちは酔いつぶれて眠っていたが季和はなかな寝付けないでいた。
そんなおり、隣の三娘子の部屋から物音が聞こえ灯りが、嵌め板の隙間から漏れてきた。不思議に思った季和はこっそり覗いてみると三娘子が箱から何かを取り出している。金の勘定でもしているのかと思ったが、それは小さな木製の牛と人形と小さな鋤だった。(なんだばかばかしい)と季和は思ったが何をするのだろうと興味を持ちもう少し見てみることにした。
三娘子は取り出した人形をそっと土の床に置くと水を口に含みプッと吹きかけると木彫りの牛と人形が動き出した。びっくりした季和は驚きながらもなお見入った。
人形は牛に鋤をつけると寝台の前の土の床を耕し始めた。次に箱から小さな袋を取り出して人形に手渡した。人形は種を捲くと耕作地の外に出て動きを止めた。種は蕎麦の種だったようで見る間に芽をだし、花を咲かせ実をつけた。すると再び人形が刈り入れをし、牛が脱穀し始めた。
季和は(7,8升はありそうだ)と目算した。そして(あの人形があれば左団扇だな)
三娘子は箱から小さな臼を取り出して粉に挽かせると人形と牛と鋤を箱に戻し棚の奥に仕舞った。そしてその蕎麦粉で焼き餅を作り、眠りに就いた。季和はそれからまんじりともせず布団にくるまっているうちに朝が来た。

三娘子は客たちに明るく挨拶をし、蕎麦の焼き餅を勧めた。相客たちは喜んで食べていたが季和だけは「今朝は腹の調子が悪いので」と断り、早く旅籠を出、しばらくしてまた引き返してきた。ちょうど客たちは朝ご飯が始まる頃だったところが焼き餅を食った者は次々と倒れ手足を突っ張らせ鳴き声をあげた。そしてそのままロバになってしまった。三娘子はロバの尻を叩いて柵の中に追い込むと客の荷物の始末にかかった。
季和は一部始終を見届けると板橋店を離れた。そして何とかしてあの箱を手に入れる方法を考えた。

そうして一か月が経った。この日は他に客もなく季和一人だけであった。前と同じように歓待され床に入った。
季和が待っていると、この間のように三娘子はまた箱を取り出している。
(いいぞ計画通りだ)
季和の懐には、そっくりに作られた焼き餅が入っていた。
朝になり、食事が並べられた。あの焼き餅もあった。季和は働き歩く三娘子の隙をついて皿に置かれてる焼き餅と懐の焼き餅を一つだけ交換した。そして季和は「私も焼き餅を持ってきたので店のは下げて下さい」と言って食卓に置いた。
三娘子に「この焼き餅はちょっと評判でしてね、良かったら一つ味見してみませんか?」と勧めた。勿論それは三娘子の作った焼き餅である。
「そうですか、では」と一口食べると三娘子は床に倒れ、ロバの鳴き声をたてて季和を睨みつけた。しかしそれも束の間、すぐにロバとなってしまった。季和は三娘子の部屋からあの箱を持ち出してロバになった三娘子に乗って板橋店を離れた。途中で術を使ってみたが人形は動かなかったので人形は捨ててしまった。しかし、三娘子のロバは一日400kmも歩くほど丈夫であった。
それから可哀想に4年も季和は三娘子のロバに乗り続けた。そしてある町の郊外を歩いていたら一人の老人がロバを見て大きく笑い声をあげ「これはこれは三娘子ではないか。また何という姿になってしまったのか」
その老人は季和に「許してやってくれないか」と言った。「だいぶ酷い目に遭わせているようじゃないか」
老人がいかにも道士のように見えたので季和は引き下がった。
すると老人はロバの口と鼻のあたりに手をかけ左右に引き裂いた。途端にロバの皮が二つに裂け中から三娘子が飛び出した。
驚いてる季和を横目に見、三娘子は老人に礼を言うとどこかに走り去ってしまった。

血染めの屋敷

備後国(広島県)の尾道に小左衛門という男がいた。代々富豪の家柄であった。この小左衛門の父は観勇といい、いつのころか病に伏すようになり、名医や薬など色々試してみたが快方へ向かうことはなく、それとは逆に日に日に弱り果てていた。
観勇は最期の言葉を思い、小左衛門を呼び出した。「死ぬ前に話しておかないといけない事がある」という言葉から始まった。
その話というのが…。
観勇の父の代に家で不祥事があった。しかしそれは些細なものであった。誰の仕業ともわからず近隣には尾ひれのついた噂となりとても困った。困り果てた観勇の父はこの問題を終わらすために誰かを勝手に犯人にしたてあげて事件そのものが終わったとしたら、近隣にも良いのではないかと思いついた。
さて、その犯人としてしたてあげられたのは、竹という召使いであった。竹はノロく機転もきかず仲間の者からはとても疎んじられている女であった。
その女には身元もいなかったのか竹に罪をきせてもどこからも言われないだろうと思った観勇の父は罪状を勝手に作り上げ、いびり続け、しかも食事も与えず結局なぶり殺しにされてしまった。
竹は今わの際に「この恨み…末代まで祟り抜いて思い知らせてくれる…」と言い残し、こと切れてしまった。
やがて観勇の父も原因不明の奇病に罹り虚しくこの世を去ってしまった。
そして今回はとうとう観勇の奇病である。これもきっと竹の恨みの仕業であろうと思った。
「これからは神仏を奉り、貧しいものには慈悲を与え、正しい行いをして生きるように」と言い残すとまもなく観勇は息を引き取った。

そしてはや観勇の一周忌を終えた翌朝。小左衛門は座敷の障子を開けいい気分で歌を詠んでいた。その時ふと自分の着物の裾に血が付いてるのが見えた。(おや?怪我でもしたかな?)と拭ってるうちに血は着物だけではなく畳にまで及んでおり、目を上げると壁や柱といわず部屋のあちこちにおびただしい血が滴り落ちていた。
あまりのことに動揺し、家の者にも言わず早めに床に就いたが小左衛門は父の遺した言葉であろうかと頭をよぎった。
翌日、再び座敷に出た小左衛門は畳から板敷に至るまで海のように血が染めたさまであった。
もう隠せないと思った小左衛門は家来に事情を話し、血を拭き清めるようにと命じた。しかし家来の目には血など一向に目につかず「旦那様、血などどこにもありませんが」と言うと小左衛門は「何?これが見えぬのか?」と顔が上気していたのでやむなく家来は小左衛門が指さす方を拭いた。小左衛門は「ほら見ろ、雑巾は真赤ではないか。新しいのに取り替えて拭くように」と命じた。
そんな日が何日も何日も続いた。しまいには座敷のみならず台所や庭など屋敷中を拭くようにと言い出した。家来達は初めの頃こそ小左衛門に同情すらしたが、しだいに疎ましくなりだんだんと家来は辞めていった。

ある時、心配になった親戚一家が訪ねてきてくれた。小左衛門は「よくお越し下さった。しかし御覧の通り家中どこもかしこも血に染まっておりますので座っていただく場所もございません。どうかお早くおかえり下さい」と言った。親戚一家は(何もないのにやはり噂通り小左衛門には血がみえるようじゃ)と囁きあいその日は帰ることにした。
後日、これを痛ましく思った親戚一家は小左衛門に美しい食事を届けさせた。使い物が「器も綺麗に洗浄しておりますゆえどうぞご安心なさってください」と言った。小左衛門も有難く久々のご馳走だと蓋にてをかけると一口、二口と食べ始めたところたちまち赤黒い血が器をみたしてきた。箸を投げるとその箸は血溜まりに落ちた。
そういう間に小左衛門が目をあげると、どこもかしこも血だらけになっていた。それでも浸出してくる血を拭い、血に染まった着物を引き裂き投げ捨てる小左衛門はもう常人の目ではなかった。
1年後…小左衛門は子もないままにこの世を去った。竹が祟り抜いた富豪の家は断絶となった。

殺した実母が迎えに来る

昭和3年6月27日の夕方、大阪の玉造署へ40代の男が「母を殺しました」と言って自首してきた。
この男は箪笥職人のKという者であるが、大正10年8月28日午前2時ごろ当時住んでいた天理教会所で62歳になる実母のIは胃癌で永らく病床についていたが治る見込みもなく息子夫婦が薬代や看病に困っているのを気に病んでいた。
どうせ死病なら自分の腹を痛めた息子の手で死にたいと言い出した。息子は最初のうちは冗談だと思い相手にしていなかったが、母がしきりにそのことを言うし生活難ではあったしと、ある夜母親の言いつけどおり手ぬぐいで首を絞めて殺し、何食わぬ顔で葬儀もだした。
自首するまで黙っていたが殺した実母が夢に現れて「お前を迎えにきた」というので自首してきたという。

今現在でもよくニュースで伝えられるような事件だが、胸の痛む事件である。

天井裏の妖婆

鏑木清方画伯の夫人の話である。夫人が産褥熱で入院したのだがその時はもう夜で時間も遅かった。目的の病院に着いた時には救急の方がいっぱいだったので仕方なく死体を出し入れする非常口から入った。
入院して2~3日経った頃、夜中にふと目覚めた夫人が天井を見ているとそこに小紋の衣服を着て髪をふり乱した老婆がいて頸をぐいっと向けて夫人をぎろりと見た。夫人はびっくりしたが(こやつに負けては大変だ)と、きっと唇を噛んで瞬きもせず老婆を睨んだ。老婆は忌々しそうな顔をして「お前さんは強情な女だね」と言い残し後ずさりして消えてしまった。
そこへバタバタと走って担当の看護婦が飛び込んできた。看護婦は息をはずませながら「何か変わったことはありませんでしたか?」と聞くので「別になにも」と言うと看護婦は安心したような顔になり「さっき奥さんのお部屋から誰かが出て行ったような気配がして不思議に思ってたら隣の隣の病室の患者さんが天井を指さして『何か来た、何か来た』と言い残して息を引き取られました。

針食い虫

備前(岡山県)で住み込みの針子をしていた女がいた。裁縫で折れてしまった針は針箱の底に納め、針供養をすることになっていた。彼女もその習いに従って折れた針を大事に集めていた。
ある日、針箱を開けると中が空っぽになっていた。不思議に思い箱をいろいろ調べていると箱の隅に小さな虫がいた。見た事もない珍しい虫だった。それを取り針刺しの上に置くと虫は這いあがっていき針をバリバリと食べ始めた。「なるほど、この虫が針を食べてたから無くなったんだ」
妙な虫であっても小さくてそれなりに可愛い。彼女は小箱に入れてその虫を飼いはじめた。もちろん餌は折れた針である。2~3か月もすると最初の大きさよりも三倍ほどに成長した。そうなると針のような小さな餌では追いつかなくなり、一体何を食べさせたらいいだろうと彼女は悩んだ。
ある日、思い切って仕立て屋の主に相談するとこの人も物好きな人で、虫の飼育を面白がってくれ使い古した鉄瓶や錆びたノコギリなどをくれた。それらを食べたのはいいが、虫は巨大化に歯止めがきかなくなってしまった。
さすがに彼女はこの虫が怖くなってしまい、虫が眠っている間に外へ運び枯草とともに焼いてしまった。
だが後になって、化け虫の恐ろしさよりも自分が化け虫にしたことへの恐ろしさが罪悪感となってきた。それがきっかけとなって京へ上り出家したという。