不思議

キミアキ君

神奈川県のとある中学校の卒業生に語り継がれる噂である。

その卒業生が入学したばかりの頃、最初のホームルームで先生が出席を取り始めた。その時先生が「キミアキ君」という名前が呼ばれた。苗字もなく出席簿の苗字欄も空白で、住所も「神奈川県○○市」とあるのみで保護者の名前すらない。
しかしキミアキ君自体は普通の男の子で友達と遊んだり、話したりしていた。キミアキ君の家に遊びに行った者はいなかったが噂では滅多に人のいない島の裏側という話であった。
だが入学から1年以上過ぎたある日、キミアキ君は親しい友人にも転居先を告げないまま突然引っ越して行ったという。
キミアキ君は何か事情のある人間だったのかそれともそもそも人ではなかったのか不明のままである。
他の文献では正体は「河童」だったという話もある。

 

[参考文献:日本現代怪異事典]

【目撃談】UFO出現【不思議な話】

筆者の目撃談である。でも筆者のみならずクラスの女子や他の子も目撃している。
詳しく書いていこう。

平成元(1989)年6月30日、その日は午前中に体育があった。
更衣室は校庭の端を通って行っていた。その頃にはもう何人かが「何あれ?」と言っており、筆者も友達と見てみると丸い銀色のものがクルクル旋回しながら飛んでいた。
今の時代なら「ドローン?」なんて言葉でおわるのであろうが、平成元年である。
バブルがはじけたぐらいの約30年前である。そんなものはない時代。

筆者は身体を動かすのは禁止だったので体育はいつも見学していた。
クラスの友人からは「見といてや~」と言われずっとソレを見ていた。
相変わらずクルクル横に旋回していて窓らしきものもあった。
筆者がずっと見ていても先生に怒られなかったので見ていたのだが、授業が始まって20分ほどしてふと目を離した隙に消えてしまった。

今はもう統廃合されてしまって無い高校での出来事である。

空船(うつろぶね)

享和(1803)年2月24日、常陸国(茨城県)原舎浜(はらとのはま)というところへ不思議な形をした船が漂着した。
どうやらその船は大木をくりぬいて造られた船のようで上は硝子障子で四方に窓もあり、下が鉄板で覆われていた。
中には20歳ぐらいの女性が一人いて、とても色白で黒髪がとても鮮やかだった。
そしてとても美しい顔をしていた。
何度話しかけても言葉は通じず名前もわからず、また小さな箱を持っていた。
船の中には敷物が二枚あり、とてもやわらかで何というのかはわからなかった。食べ物はお菓子と思われるもの、練り物その他肉類があった。
また茶碗が一つ、模様は見事だったがわからないものだった。
結局小さい箱にも触れさせてくれず、漁師達は相談して再び沖に返すことにした。この出来事は色んな書物に書かれた。

[参考文献:梅の塵]

応声蟲

元禄16(1704)年の正月に、京都の屏風屋の息子、長三郎(12歳)が発熱し、日が経つにつれて腹から物を言う声が聞こえる。
人の言う事に答える。
あらゆる薬を飲ましても治る気配はない。
菅玄際という医者が診て、「これは書物で見た病気で、『応声蟲』という。試にこの薬を与えよう」と飲み薬を応声蟲に飲ませようとすると大いに嫌がる。それでも何回も飲ませていくと次の日から声がややかすれてしまい、本当に声が絶えてしまった。
一日経ってトイレに行くと肛門よりトカゲのような額に小さな角のある蟲が出てきて長三郎の親が殺した。
病状は6月頃に回復したという。

[参考文献:塩尻]

二次元と三次元を行き交う男

元禄2(1689)年に難波津(大阪市)天王寺の御開帳に合わせ古今東西の名人を決めようとした大商人がいた。
多種多様な名人を呼び寄せた。その中の一人である等叔は水墨画の名人であり、中国の賢人図を描き上げて大賞賛された。

すると当時、尺八の名手といわれた隋桂だけが不服を申し立てた。
「この絵の中の人物の一人が風情を楽しんでいません、私なら描き加えることなく手直しできます」と。
周りは文句をつけてるだけだと思っていたが、本人は絶対譲らない。
それならと商人も「手直ししていただこう」と言った。その途端、隋桂は消えてしまった。
周りの人々は探し回ったがいない。

そのうち絵の中から「絵を直し終えました」と声がした途端、隋桂が先ほどの場所に現れた。
絵を見ると、人物が微笑んで楽しんでいる絵に変わっていた。

彼も仙界にいた人物だったのかもしれない。

 

[参考文献:御伽百物語]