入水

狐の恩愛

享和3(1803)年の春、鼠がおびただしく繁殖し、商売の品を食い荒らすことがあった。そこの主人は嫌がり、石見銀山砒藥(殺鼠剤)を用意して餌に混ぜておいた。すると4~5匹の鼠がそのあたりで死んでいた。ごみ捨て場へ遺棄した。

翌日の朝、狐の子がその鼠を食べたのであろう、ごみ捨て場あたりに死んでいた。
ある日、その者の妻が外出した時大事にしていた子供がどこへ行ったのか姿が見えなくなった。妻は悲しんでいたが夫はたいそう怒り「きっと狐の仕業であろう。狐を捕えようとして薬に当たった鼠を捨てたのではない。子狐が勝手に鼠を貪って死んだのに、わしを仇と思い最愛の子供を取るとは無道だ」と近くの稲荷神社に行って道理を説いて怒った。
翌朝、その者の庭先に死んだ子狐の死骸と我が子の亡骸がともに捨てて置かれていた。
そして井戸の中で雌雄の狐が入水していたという。

武士の親子

どうしてそのような身になったのか、両国橋で物乞いをしている浪人が4~5歳の子を連れて往来で援助を願っていた。

ある日、往来する人の情けをもらえることがなく子供は空腹になりしきりに泣き続けた。親も不憫に思い辻にいた餅売りに「朝から一銭も恵んでもらえず食べ物も買えない。この子が空腹なので嘆いている。餅を戴けたらすぐにお返しするので一つ商いの餅をいただけないか?」と頼んだ。
餅売りは「わしも今朝から商いになっていないので、駄目だ」と拒否されてしまった。子供はますます泣き叫んだ。
そこへ雪駄を直すものが有りあわせの銭を少々差しだし、「とてもお困りのご様子、これで立て替えてください」と申し出てくれた。武士は「かたじけない」と厚く礼を述べ餅を買って子供に与えた。往来の者に無心して、その者へお金を返した後、子を橋の上から川中へ投げ入れ、自分も続いて入水して死んでしまったという。