恨み

生霊

死霊より生霊の方が怖いという。それは生きてる限りエネルギーが補給されているからだ。生霊を出してる人の中には自覚していない人もいるようだ。

相模国(神奈川県)に信久という身分の高い人がいた。この人の奥方は土岐玄春という人の娘である。とても評判のある美人で信久はとてもとても可愛がった。
腰元に常盤という女がいた。この女もとても美しい人だったので信久も時折通っていた。常盤は奥方にとてもよく奉公を致しておった。
ある時奥方が情緒不安定な病状となり、次第に重くなり信久は尊い僧に頼んで祈祷をさせると、僧は経文で占い「この病は人の生霊がついております。霊媒を用いて憑いている悪霊を呼び出すと誰かわかるでしょう」
と言うので信久はその通りにしていただくよう僧へお願いした。

僧は12,13歳ほどの女を裸にして、身体中に「法華経」を書き、両手に御幣を持たせ僧を120人集めて法華経を読ませて病人の枕もとに祭壇を作り蝋燭を120本灯し、経を読んだ。
霊媒である12,13歳ほどの女が何か言いかけた。僧はますます力を入れて経を読むとその時常盤が壇の上に立ち現れた。
僧が「本当の姿を現せ」と言うと常盤は衣服をつくろい打掛姿の正装で出てきて、上の小袖を翻した。その時120本の灯篭は一緒に消えてしまったが、火が消えるとともに奥方も亡くなってしまった。
信久は無念に思い奥方の追善供養のため、常盤を引っ張り出し牛裂きの刑(※1)に処した。

※1 二頭又は四頭の牛に手足を縛りつけて牛を走らせる処刑法

血染めの屋敷

備後国(広島県)の尾道に小左衛門という男がいた。代々富豪の家柄であった。この小左衛門の父は観勇といい、いつのころか病に伏すようになり、名医や薬など色々試してみたが快方へ向かうことはなく、それとは逆に日に日に弱り果てていた。
観勇は最期の言葉を思い、小左衛門を呼び出した。「死ぬ前に話しておかないといけない事がある」という言葉から始まった。
その話というのが…。
観勇の父の代に家で不祥事があった。しかしそれは些細なものであった。誰の仕業ともわからず近隣には尾ひれのついた噂となりとても困った。困り果てた観勇の父はこの問題を終わらすために誰かを勝手に犯人にしたてあげて事件そのものが終わったとしたら、近隣にも良いのではないかと思いついた。
さて、その犯人としてしたてあげられたのは、竹という召使いであった。竹はノロく機転もきかず仲間の者からはとても疎んじられている女であった。
その女には身元もいなかったのか竹に罪をきせてもどこからも言われないだろうと思った観勇の父は罪状を勝手に作り上げ、いびり続け、しかも食事も与えず結局なぶり殺しにされてしまった。
竹は今わの際に「この恨み…末代まで祟り抜いて思い知らせてくれる…」と言い残し、こと切れてしまった。
やがて観勇の父も原因不明の奇病に罹り虚しくこの世を去ってしまった。
そして今回はとうとう観勇の奇病である。これもきっと竹の恨みの仕業であろうと思った。
「これからは神仏を奉り、貧しいものには慈悲を与え、正しい行いをして生きるように」と言い残すとまもなく観勇は息を引き取った。

そしてはや観勇の一周忌を終えた翌朝。小左衛門は座敷の障子を開けいい気分で歌を詠んでいた。その時ふと自分の着物の裾に血が付いてるのが見えた。(おや?怪我でもしたかな?)と拭ってるうちに血は着物だけではなく畳にまで及んでおり、目を上げると壁や柱といわず部屋のあちこちにおびただしい血が滴り落ちていた。
あまりのことに動揺し、家の者にも言わず早めに床に就いたが小左衛門は父の遺した言葉であろうかと頭をよぎった。
翌日、再び座敷に出た小左衛門は畳から板敷に至るまで海のように血が染めたさまであった。
もう隠せないと思った小左衛門は家来に事情を話し、血を拭き清めるようにと命じた。しかし家来の目には血など一向に目につかず「旦那様、血などどこにもありませんが」と言うと小左衛門は「何?これが見えぬのか?」と顔が上気していたのでやむなく家来は小左衛門が指さす方を拭いた。小左衛門は「ほら見ろ、雑巾は真赤ではないか。新しいのに取り替えて拭くように」と命じた。
そんな日が何日も何日も続いた。しまいには座敷のみならず台所や庭など屋敷中を拭くようにと言い出した。家来達は初めの頃こそ小左衛門に同情すらしたが、しだいに疎ましくなりだんだんと家来は辞めていった。

ある時、心配になった親戚一家が訪ねてきてくれた。小左衛門は「よくお越し下さった。しかし御覧の通り家中どこもかしこも血に染まっておりますので座っていただく場所もございません。どうかお早くおかえり下さい」と言った。親戚一家は(何もないのにやはり噂通り小左衛門には血がみえるようじゃ)と囁きあいその日は帰ることにした。
後日、これを痛ましく思った親戚一家は小左衛門に美しい食事を届けさせた。使い物が「器も綺麗に洗浄しておりますゆえどうぞご安心なさってください」と言った。小左衛門も有難く久々のご馳走だと蓋にてをかけると一口、二口と食べ始めたところたちまち赤黒い血が器をみたしてきた。箸を投げるとその箸は血溜まりに落ちた。
そういう間に小左衛門が目をあげると、どこもかしこも血だらけになっていた。それでも浸出してくる血を拭い、血に染まった着物を引き裂き投げ捨てる小左衛門はもう常人の目ではなかった。
1年後…小左衛門は子もないままにこの世を去った。竹が祟り抜いた富豪の家は断絶となった。

友チョコ

ある女性のお姉さんの話である。お姉さんは仮にMさんとしておこう。そのMさんは現在結婚されて仕事を辞められているのだが仕事をしているとき、とても仲の良いYさんという明るくて綺麗で誰にでも好かれるタイプの女性だったらしい。

ある年の2月MさんとYさんは一緒にバレンタインのチョコの買い出しへ行った。Mさんには当時彼氏(現在の旦那さん)がいてその人の本命チョコと会社で配る義理チョコをいくつか買った。
するとYさんの義理チョコの中に一つだけ義理とは思えないほど高価なチョコがあった。Mさんは「あれ?Yちゃん、それ本命のチョコ?」と聞くとYさんはうなずいて「まだ付き合ってはないけどこのチョコを渡すとき告白する」と言うのでMさんは応援したらYさんはとても嬉しそうだったという。

2月14日。Mさんは彼氏にチョコを渡し、同僚に義理チョコを渡した。Mさんの職場では男女関わらずお世話になった人との間でもチョコのやり取りがあってMさんはYさんにもチョコをあげた。
するとYさんもMさんへチョコを渡した。一緒に買いに行ったからどんなのかお互い判ってて大笑いした。でも気持ちだからと二人はチョコの交換をした。
仕事に戻りMさんはキャビネットを整理してYさんの机の上につい足をぶつけてしまい、そのはずみでYさんが机の上に置きっぱなしにしてたチョコの箱がその下にあった水の入った掃除用のバケツに入ってしまった。
Mさんは(あ、しまった)と思ったが自分も同じチョコを持っているのを思い出し代わりに自分のために買ったチョコをYさんの机に置いた。

翌日、Mさんが会社へ行くとYさんが「あれ?チョコ食べなかったの?」と聞いたきた。Mさんはおかしなこと聞くなあと不思議に思っていた。自分がチョコを取り換えた事はYさんには言ってないけどもしかして知ってるのかなと思ったがそうでもないようで、今さら取り換えた事を告白する勇気はなかったのでMさんは「昨日は帰ってすぐ寝たから今日食べる事にするよ」と言った。

翌日Mさんはいつも通り出勤した。すると先に出勤していた同僚に「昨夜Yさん、亡くなったらしいよ」と聞かされた。自宅で亡くなっていたところを母親に発見されたそうだ。そして遺書はなかったのだがどうやら自殺だったとのことで服毒死だったそうだ。Mさんはたいそう落ち込んだ。

それから1年後Mさんは結婚し子供もできて親友を失った悲しみも和らいできた。ところがまた最近になって憂鬱な青ざめた表情をしている事がおおくなったので妹さんは心配して問いただしたところ、Mさんはようやく語ってくれた。

Yさんが亡くなってから1年後のバレンタインにMさんが旦那さんにチョコを渡そうとすると旦那さんが辛そうに語ったそうだ。それはYさんが亡くなる前彼女に告白されたのだと。
Yさんは「親友の彼だと思って我慢してたけど辛くて辛くてもうダメ。このままじゃ自殺するかMを殺すかどちらかしてしまいそう」だと。彼は驚いたがなんとかYさんを納得させようとしたそうだ。
Yさんの自殺の原因はMさんと旦那さんにあったのである。妹は慰める言葉もなく黙っていたところMさんは「自殺だったらまだいいんだけど…」と言う。
思い出してしまうのはバレンタインの翌日「チョコ食べなかったの?」というYさんの言葉。自殺にしては遺書もない突然の死。そしてあの日取り替えたチョコの箱。
あの日Mさんが取り替えなければ今頃は…。

小姓の幽霊

久保吉左衛門という人が召し使っている児小姓が、大した罪でもないのに殺害されてしまった。
その小姓の母親はそれを聞いてとても怒り、「この恨みをすぐにはらしてやる」とすさまじかった

その後、小姓の霊が現れ多くの人が目撃したので、みんな恐れていた。
そうこうしているうちに吉左衛門の息子が病気になってしまった。例の幽霊が毎晩枕元へ立つという。
仏神にすがりひたすら祈って病は次第に快方してきたけれど、幽霊の出る事には変わりなかった。

こうして3年が過ぎ、公儀(幕府)は「久保殿は自分の加えた罪によりその身は越後の長岡の牧野駿河守殿にお預け、息子は奥州棚倉の内藤紀伊森殿にお預け」と決定し、お家断絶となってしまったのは例の因果であろう。

安部宗兵衛の妻の怨霊

豊前国(福岡県東部と大分県北部にあたる)の速水郡に安部宗兵衛というものがいた。
つねづね、女房に邪見にあたり食べ物も与えず、そのうち女房は悔しく思いながらも病気になってしまったが、薬も与えなかった。
ますます女房に辛く当たり、とうとう19歳で亡くなってしまった。
亡くなる時に宗兵衛に向かって「いつか覚えておけ、後々思い知るだろう」と言って亡くなるが、それでも宗兵衛は死骸を裏の山に捨て弔いもしなかった。
死んで7日目の夜半頃、死んだ女房が腰から下を血だらけにして、髪はバサバサで、緑がかった顔色をして鉄漿をつけ、眼を見開き、口は鰐のように大きく開き宗兵衛の寝室に来た。
氷のような手で宗兵衛の顔を撫でて、宗兵衛はちぢこまっていた。
女房はからからと笑い、新しい女房を八つ裂きにし、舌を抜きそれを懐へ入れて「また明日の晩参る。年月の恨み忘れんぞ」と言って姿を消した。
宗兵衛は驚き、貴僧高僧を頼み、大般若心経を読み、祈祷してもらい夜になると弓、鉄砲、を門や窓口・戸口に用意して待っていた。
宗兵衛は後ろ寒く思い見返ると夜中に女房が「いやはや全く用心が厳しい事ですねえ」と言って宗兵衛の顔を撫でると思ったところ、凄まじい姿となり宗兵衛を二つに引き裂き辺りにいる下女どもも蹴り殺し、天井を蹴破って虚空にあがっていったという。