祟り

血染めの屋敷

備後国(広島県)の尾道に小左衛門という男がいた。代々富豪の家柄であった。この小左衛門の父は観勇といい、いつのころか病に伏すようになり、名医や薬など色々試してみたが快方へ向かうことはなく、それとは逆に日に日に弱り果てていた。
観勇は最期の言葉を思い、小左衛門を呼び出した。「死ぬ前に話しておかないといけない事がある」という言葉から始まった。
その話というのが…。
観勇の父の代に家で不祥事があった。しかしそれは些細なものであった。誰の仕業ともわからず近隣には尾ひれのついた噂となりとても困った。困り果てた観勇の父はこの問題を終わらすために誰かを勝手に犯人にしたてあげて事件そのものが終わったとしたら、近隣にも良いのではないかと思いついた。
さて、その犯人としてしたてあげられたのは、竹という召使いであった。竹はノロく機転もきかず仲間の者からはとても疎んじられている女であった。
その女には身元もいなかったのか竹に罪をきせてもどこからも言われないだろうと思った観勇の父は罪状を勝手に作り上げ、いびり続け、しかも食事も与えず結局なぶり殺しにされてしまった。
竹は今わの際に「この恨み…末代まで祟り抜いて思い知らせてくれる…」と言い残し、こと切れてしまった。
やがて観勇の父も原因不明の奇病に罹り虚しくこの世を去ってしまった。
そして今回はとうとう観勇の奇病である。これもきっと竹の恨みの仕業であろうと思った。
「これからは神仏を奉り、貧しいものには慈悲を与え、正しい行いをして生きるように」と言い残すとまもなく観勇は息を引き取った。

そしてはや観勇の一周忌を終えた翌朝。小左衛門は座敷の障子を開けいい気分で歌を詠んでいた。その時ふと自分の着物の裾に血が付いてるのが見えた。(おや?怪我でもしたかな?)と拭ってるうちに血は着物だけではなく畳にまで及んでおり、目を上げると壁や柱といわず部屋のあちこちにおびただしい血が滴り落ちていた。
あまりのことに動揺し、家の者にも言わず早めに床に就いたが小左衛門は父の遺した言葉であろうかと頭をよぎった。
翌日、再び座敷に出た小左衛門は畳から板敷に至るまで海のように血が染めたさまであった。
もう隠せないと思った小左衛門は家来に事情を話し、血を拭き清めるようにと命じた。しかし家来の目には血など一向に目につかず「旦那様、血などどこにもありませんが」と言うと小左衛門は「何?これが見えぬのか?」と顔が上気していたのでやむなく家来は小左衛門が指さす方を拭いた。小左衛門は「ほら見ろ、雑巾は真赤ではないか。新しいのに取り替えて拭くように」と命じた。
そんな日が何日も何日も続いた。しまいには座敷のみならず台所や庭など屋敷中を拭くようにと言い出した。家来達は初めの頃こそ小左衛門に同情すらしたが、しだいに疎ましくなりだんだんと家来は辞めていった。

ある時、心配になった親戚一家が訪ねてきてくれた。小左衛門は「よくお越し下さった。しかし御覧の通り家中どこもかしこも血に染まっておりますので座っていただく場所もございません。どうかお早くおかえり下さい」と言った。親戚一家は(何もないのにやはり噂通り小左衛門には血がみえるようじゃ)と囁きあいその日は帰ることにした。
後日、これを痛ましく思った親戚一家は小左衛門に美しい食事を届けさせた。使い物が「器も綺麗に洗浄しておりますゆえどうぞご安心なさってください」と言った。小左衛門も有難く久々のご馳走だと蓋にてをかけると一口、二口と食べ始めたところたちまち赤黒い血が器をみたしてきた。箸を投げるとその箸は血溜まりに落ちた。
そういう間に小左衛門が目をあげると、どこもかしこも血だらけになっていた。それでも浸出してくる血を拭い、血に染まった着物を引き裂き投げ捨てる小左衛門はもう常人の目ではなかった。
1年後…小左衛門は子もないままにこの世を去った。竹が祟り抜いた富豪の家は断絶となった。

神木の祟り

鎌倉佐助谷の稲荷の別当は扇ガ谷に住む佐治右衛門の弟であった。社内の神木が生い茂ると誰はばかることなく、たくさん伐採して生活の糧としていた。
だが、たちまち御咎めが出て、妻子とも気が違ってしまった。それだけでも憂鬱な事だというのに年取った母は邪見放逸である時「3歳になる孫を斬ってみせよ」と催促した。
佐治右衛門はなんとも思わず「心得た」と言って無残にも孫を斬り「これを見ろ」と言ったところ老母は「ああ、心地よい」と言ってとても喜んだ。
そののち延宝8(1680)年10月20日、にわかに大雨となって雷が落ち老母の身体を二つ三つに引き裂いてしまった。
佐治右衛門は程なく自害してしまった。

家鳴り

日本各地に伝承される身近な妖怪である。家や家具が理由もなく揺れだすという、いわゆるポルターガイストである。
西洋では「ラップ現象」とも言われている。

江戸時代、但馬国(兵庫県北部)で浪人たちが肝試しをした。
近所では幽霊屋敷といわれているところだ。現代の人達もよくしている廃墟巡りのようなものだったのかもしれない。

彼らは泊り込んでいたら夜更けに突然、家全体が揺れだした。地震かと思い、外へ出てみたが揺れているのは家のみであった。
この怪異が翌日も怒ったので、僧に頼んで一緒に泊まってもらう事となった。
そして家は再び揺れ始める。僧は畳を見つめ激しく揺れてる場所に小刀を突き立てるとピタリと止まった。

翌朝、床下を調べると墓標があり、その墓標には「刃熊青眼霊位」と書いてありその「眼」の部分から血が出ていた。
近所の人に聞いたところ、その近辺で荒らしまわっていた熊をこの家に住んでいた男が殺し、たたりを鎮めるために墓標を立てたとのことであった。しかし熊の霊は強く彼を殺してしまって現在も数々の怪異をおこしていたということだった