自害

幼児の義死

田中筑後守殿の家中の子供が寄りあい、穴一(地面に穴を掘り、およそ1mはなれた線外から銭を投げ穴に入ったものを所得する遊戯)をしていた。その時争いとなり15歳になる者が7歳の者の頭を張った。
7歳の子は「幼いからといって武士の顔を張るということがあるか」と言葉で言い返した。その後、4~5日経ったある日、15歳の子が遊んでいたのを7歳の子が走り寄って、一打ちに切り殺してしまった。
7歳の子は自宅に帰り、両親にこういうことがあったと告げた。親はひどく驚き相手の方に謝罪をしに行った。ところが15歳の子の親は我が子の不覚を悔やむだけでなく、「ウチには男子はおりません。この子を貰って跡継ぎにしたい」と熱心に言った。
7歳の子はその事を聞き届け「私を養子にしようというのは喜ばしい事ですが、善きにつけ悪しきにつけ実子の事を思い出さないということはないでしょう。ただ武士の義理で言っているのでありましょう。そうであるなら人を討って生きてはおれない」といい、自害したという。

神木の祟り

鎌倉佐助谷の稲荷の別当は扇ガ谷に住む佐治右衛門の弟であった。社内の神木が生い茂ると誰はばかることなく、たくさん伐採して生活の糧としていた。
だが、たちまち御咎めが出て、妻子とも気が違ってしまった。それだけでも憂鬱な事だというのに年取った母は邪見放逸である時「3歳になる孫を斬ってみせよ」と催促した。
佐治右衛門はなんとも思わず「心得た」と言って無残にも孫を斬り「これを見ろ」と言ったところ老母は「ああ、心地よい」と言ってとても喜んだ。
そののち延宝8(1680)年10月20日、にわかに大雨となって雷が落ち老母の身体を二つ三つに引き裂いてしまった。
佐治右衛門は程なく自害してしまった。