狐の恩愛

享和3(1803)年の春、鼠がおびただしく繁殖し、商売の品を食い荒らすことがあった。そこの主人は嫌がり、石見銀山砒藥(殺鼠剤)を用意して餌に混ぜておいた。すると4~5匹の鼠がそのあたりで死んでいた。ごみ捨て場へ遺棄した。

翌日の朝、狐の子がその鼠を食べたのであろう、ごみ捨て場あたりに死んでいた。
ある日、その者の妻が外出した時大事にしていた子供がどこへ行ったのか姿が見えなくなった。妻は悲しんでいたが夫はたいそう怒り「きっと狐の仕業であろう。狐を捕えようとして薬に当たった鼠を捨てたのではない。子狐が勝手に鼠を貪って死んだのに、わしを仇と思い最愛の子供を取るとは無道だ」と近くの稲荷神社に行って道理を説いて怒った。
翌朝、その者の庭先に死んだ子狐の死骸と我が子の亡骸がともに捨てて置かれていた。
そして井戸の中で雌雄の狐が入水していたという。

鼠の恩返し

寛文6(1666)年の頃、江戸の香具屋九郎左衛門の家で鼠が余りに増えたので、仕掛けをして鼠を捕え家来の者に「殺せ」と命じた。
しかし、家来は可哀想だと思い逃がしてやった。
その晩の事、夢の中に子供が一人出てきたと思ったら「夕方に命を助けていただきかたじけなく存じます。どうぞお酒をお一つ召しあがりなされ」と勧められ、金魚を肴として出したのを食べるところで目が覚めた。するとなにやら口の中に何かがある。
吐き出してみると金子一分である。それからというもの九郎左衛門の家では鼠を殺さなくなったという。